私の子育て日記 毒母編②

前回の続きです。

 

子供が出来て、母にされて嫌だった事はしないように、自分が親にして欲しかったことを、子供にしてやろうと子供を育てました。

 

最初は母が「子供はそっとして、ほっとけばいい。」って言ったので、そうしていましたが、長女が小さい頃、あまりに落ち着きがなくて、子育ての相談に行ったら、母の子育ては間違っていたと気付きました。

 

子育ての勉強を聞けば聞くほど、母の間違いに気づきました。

 

母が亡くなる前に、4年ほど母を引き取って介護をしました。なんでそんなことをしたかというと、そんな母でも、私の大切な祖母が亡くなる前に、祖母を病院に連れて行ったり、お世話をしてくれたので、母を放っておくのは、自分の中で良しと出来なかったのと、母の調子が悪くなると、何度も呼び出され、車で片道2時間かかる実家まで行かないといけなかった事、それと、ちょうど長女が県外の大学に行って、次女は浪人生、おまけに息子は高校生と、お金のかかる時で、母が生活費を出してくれると言ったので、仕事だと思って割り切ればいいやと思い、母を引き取りました。でもね、実の親だったから、なかなか割り切ることは出来ませんでした。

 

母を引き取ってから、それまでの不満をぶちまけました。

 

母は「今さら昔の事を言われても。」とか「私もそうやって育った。」とか言いましたが、どうしてもどうしても、母には最後までやさしく出来ませんでした。

 

中学生の頃、学校と部活でヘトヘトな私に、「あんたねえ。もう中学生なんだから、自分のものぐらい自分で洗濯しなさいよ。」って言われて、(実際は祖母がしてたのですが。)制服や部活のものは、自分でアイロンしました。なのに、母はうちに来て、自分の洗濯物を、勝手に我が家の洗濯かごにポイポイ入れました。引き取った以上、私が洗濯するのは当たり前だけど、せめて一言あってもいいのではないかと思いました。

 

車いすに乗せて、次女と散歩に連れて行った時も、家に帰ってきたら、「○○ちゃん、(次女の名前)ありがとう。」って言いました。ずっと押してたのは私なのにです。

 

私は産まれてこの方、母に批判されることはあっても、誉められたり認められたりすることはありませんでした。一緒に住んだ時に、「お母さんって、私の事一回も誉めたことないよね。」って言ったら、「回りの人は誉めてくれたよ。」って言われて、ん?それあんたがおいしいだけじゃん。って思いました。そして、「親が自分の子供の事を、いい子だいい子だって誉めるの?そんなみっともない事、出来ないわ。」って、言ったんです。

 

母は、「私もそうやって育ってきたもん。」って、言いましたが、母の兄弟は、子供の頃は、何人兄弟なのか分りませんでした。母が亡くなって知ったのですが、母の姉妹は、母とすぐ上の姉以外、みんな若くして病気で亡くなっていたのです。男の子は、みんな天寿をまっとうするまで生きていたのですが、女の子は、10歳前とか20代になってから、病気で亡くなっています。祖母はどうも娘には厳しかったのか、愛情がなかったのか、今はわかりません。

 

子供は、自分の母親しか知らないから、母の中には、祖母の育て方が、当たり前で普通の事だったのかも知れません。

 

多分、私が4才ぐらいだったと思います。母の隣の布団で寝ようとしていて、「ねえ、お母さん、お母さんの布団に入っていい?」って、私が言うと、母は「だめ。」って言いました。悲しくてさみしくて、大人になった今でも忘れられません。それを、後から母に、「なんであんなこと言ったの?」って聞いたら、「お父さんが、あんたをあまりに可愛がるから嫌だった。」って言われました。

 

母じゃなくて女なんですよね。気持ち悪いって思いました。

 

でもね、良かった事もあったんですよ。

 

母に育てられて、苦しくて悲しくてつらかった経験は、私の中で一生忘れられないものとなったので、自分が子供を育てる時に、

 

ああはなるまい、ああはしまい

 

って、それが、私の子育ての原動力だったのです。自分の子供を、私みたいな可哀そうな子供にしないって、いつもいつも思っていました。

 

ブログを見ると、お子さんの勉強を見ていらっしゃる方がいますが、私も、子供のために、どんなに眠くてもしんどくても、愛情かけて精一杯で、子供のために身を使ってきました。

 

3人の子供のうち、長女が今年やっと就職したのですが、長かったけど頑張った結果が出たような気がするのです。(一番頑張ったのは子供達ですが。)

 

上には上がいるけど、その年代の私は、自分の事しか考えられなくて、将来の事も何にも考えられなくて、マハラジャのお立ち台に乗って、踊り狂ってたので、今の3人の子供たちのように、目標をもって努力するなんてことは、考えてもみませんでした。「あんたは出来ない。あんたはダメだ。」って、しょっちゅう言われていたので、私なんて何をしてもだめだと思い込んで、その場の楽しい事だけを考えるしかありませんでした。

 

今、23歳と21歳と17歳の私の子供を見ると、もう、私が口を出したり手を出したりしなくても、安心な子供に育っています。(まだ先はわかんないですけどね。)そして、私とは違って、思いやりもあり、兄弟仲良く、母の私にもやさしくしてくれます。

 

私の子供は、手前みそですが、私の自慢の子供です。娘には、農家さんが、自分の写真を野菜に付けて、”私が育てました”って、書いてる人みたいだね。って言われます。

 

1年ちょっと前に、長女の就職の内定が決まったのと、時を同じくして、母は他界しました。長女が大学生になると同時期に、我が家で引き取って、長女がこちらに帰って来る少し前に、亡くなりました。

 

亡くなっても、母への恨む思いは、私の中でなかなか消えませんでした。

 

でも、最近気づいたのです。

 

もしかして、母に育てられたあの苦しい日々が無かったら、今の子供たちとの幸せは無かったのかもしれないって。

 

苦しかった経験が、私の子育ての原動力だったのですから、それが無かったら、今は無かったのです。

 

やっとやっと苦しかった日々も受け入れられたのです。

 

前回のブログに、あたたかいコメントを頂いて、心がほっこりしました。

 

心が温かくなったら、ちょっと母の事も考えられました。

 

どうも母は、あんまり苦労もないお嬢様だったみたいですが、田舎の長男の所にお嫁に来て、舅、姑、小姑と同居の生活は、大変だったのです。頼りになるのは私だけだったようです。

 

ま、それにしてやっぱり全面的には良しとは出来ないけど。(*^▽^*)

 

ホントはね、もっとグロイ話もまだまだあるんですよ。でも、それはまた、書けるようになったら書こうと思います。

 

人生って、プラマイ0のような気がします。苦労してそこから学べば、プラスに転じるのではないかと今は思えるのです。渦中にいる時はそうは思えなかったですけどね。

 

生きるってホントに大変。みんな、どの人もいい事ばかりではないですよね。でも、乗り越えてプラスに変えることも出来るのかなって最近思えるようになりました。

 

子育てって、どのお母さんも子供の幸せが目標ですよね。私、今とっても幸せなんですよ。そしたら、あれ?うちの母の子育てって、1周回って成功だったんじゃないかって思ったりもするけど、ま、ぐるぐるするから考えるのはやめておきます。

 

長々と書きましたが、読んで下さり、ありがとうございました。読者登録、スター、あたたかいコメントありがとうございました。前回は、読んで、ちょっとうるっとしてしまいました。

 

皆様が幸せな子育てをされますように。☆彡