私の子育て日記 私の宝物

子供のお手紙とか書類を入れる引き出しの一番下に、私の宝物入れスペースがあります。宝物と言っても金目のものは一切ありません。(ぴえん)

 

子どもとの思い出の品で、小さくてなくしてしまいそうな物たちが入っています。

 

これはその中の一つなのですが、次女が高校の時、修学旅行で北海道に行って、小樽で作ったオルゴールなんです。カメさんが泳いでる姿らしい(?)のですが、特に傑作でもない、なんてことないオルゴールです。

 

なんでこれが私の宝物かというと・・・

 

もう、20年以上前になるのですが、

 

長女は主人の両親にとっても、私の両親にとっても、初孫だったので、そりゃあもう大騒ぎさって感じで、たいそう大切に扱われました。出産のため私は実家に帰っていたので、私の両親や、毎週来る夫に、たくさん抱っこされました。なんなら私の出番は、あんまりなかったかも知れません。

 

母乳とミルクの混合だったのですが、ミルクを作って飲まそうとすると、夫とか母が、「飲ませるからいいよ」なんて言って、飲ませてくれて、飲んだ後の哺乳瓶を私に「はい」って渡される。機嫌のいい時は抱っこしてて、「くさいからおむつかえた方がいいよ」って、はいって渡される。主人と母はいい役ばっかりで、ミルクを作るとか、哺乳瓶を洗うとかおむつかえるとか、私は雑用係でした。

 

色んな人に抱っこされるので、小さい頃は全然人見知りしない子で、後追いも主人にして、私はなんだかちょっとさみしい気持ちになりました。

 

なので、次女が出来た時「この子はお母さんが大好きな子になりますように」って願いました。

 

そしたらね、ホントにそんな子が産まれました。

 

パパが抱っこすると泣く、私がいないと泣く、ミルクは嫌いって赤ちゃんでした。

 

1才の誕生日に写真を撮りに行った時も、一人だけの写真が撮れなくて、結局目にいっぱい涙をためた写真を(泣いてないからよしとした)引き伸ばしてもらいました。

 

それからも、内向的で人見知りな性格は変わらず、幼稚園では泣かずに行った日を数える方が早いくらい、毎日泣きながらの登園でした。泣きすぎて吐いた事もあったみたいです。

 

行ってしまえば元気になるのですが、時々私の事を思い出すようで、幼稚園の元気な男の子たちが、長女を見ると、次女の真似をして、「ママー、ママー」ってひやかしたこともあったと長女から聞いています。

 

私が変な事を願ったからかと心配しました。

 

次女の人見知りは小学校に入っても続き、小学校に行く前には緊張からなのか、毎朝洗面所で「おえっ」ってしてました。私はずっとずっと次女の事を心配していました。

 

大体、3学期になる1月ごろになると、やっとクラスに慣れてくるのですが、次の年度が始まると、また次女のおえおえは続くのでした。

 

おえおえしないで学校に行けるようになったのが、小学校5年生ぐらいでした。

 

長女の小学校の先生に

 

「10才までは膝の上」って聞いていましたが、本当に4年生の3月で10才になり、5年生ごろから、学校生活に慣れてきました。

 

でも、5年生のキャンプから帰って来て、普段はそんな事言わないのに、「ちょーやだった!!テレビもスマホもないんだよ!疲れた!!」なんて、不機嫌に八つ当たりをされたのですが、もしかしたら初めての2泊3日の集団生活に、ストレスが溜まっていたのかな?なんて思いました。

 

中学の修学旅行も「おかあさんに会いたい。おうちに帰りたいって思ってた」なんて言うし、中3の時はクラスにも馴染めませんでした。

 

それが、やっとやっと高校の修学旅行で初めて「楽しかった~」って帰って来て、「はい、おかあさんにお土産」ってくれたのが、このカメさんのオルゴールです。

 

このカメのオルゴールは、次女がやっと学校に馴染めた記念のオルゴールなんです。

やっと心配しなくてもいいかな?(仮)記念のオルゴールなんです。

 

それからだんだん次女は友達が増えて、大学では部活でジャズバンドのリーダーになり、みんなで旅行に行ったり、周りにも恵まれて、のびのびと自分の意見が言える子になりました。なんと!人前に出るのが苦手な子だったのに、最後のコンサートでは、MCもしたんですよ。あのおえおえ娘が!と思うと、びっくりです。

 

逆に長女は、小さい頃はものすごく活発な子で、毎学年学級委員をするような子だったのに、今は「自称陰キャ」らしく、おとなしいって周りから思われているようです。

 

人間って変わりますよね。

 

そういう私も、今となっては黒歴史だけど、マハラジャのお立ち台でフォーフォーしてました。でも、今は普通のお母ちゃん・・・

 

なんで変わったかっていうと、子供は日々成長してるって事と、周りの環境じゃないかと思います。

 

今、子育てに奮闘して、悩んだり心配したりしているお母さま方も多いと思います。

 

「安心してください。変わりますよ」って言ってあげたい。ついでに、次女のおえおえに悩んでいた、あの時の私にも言ってあげたいです。

 

母ちゃんが子供を信じて、愛情を持って育てていれば、いつかちゃんと子供はそれぞれの花を咲かせるのではないかと思います。(あ、まだうちの子もツボミだったりするのですが。てへ)

 

ただ、もう一つ24年の子育てを通して思った事を付け加えるなら、しんどい時も、後になってみたら私の宝だった。怒れちゃうときも、悲しくなっちゃうときも、たくさんあったけど、その時その時一生懸命育てた(はずですが・・・?)自分に◎あげたいなって思います。(くれぐれもまだ途中ですが(*'▽'))

 

子育てって、学校では教えてくれないですもんね。子供が10人いたら、10通りだし、100人いたら100通りですね。正解ってないのかもしれないし、全部正解なのかもしれませんね。でも頑張ってる自分に〇つけて、頑張り過ぎず頑張りましょうね。

 

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私の子育て日記 お料理編 お弁当

今週のお題がお弁当なので、私もお弁当を掲載してみようと思いました。

か、勘違いしないでくださいね。これは子供用のお弁当ではありません💦 先日、ママ友とお花見にいったのだけど、いつも何やら頂いてるから、たまには私も花を持たせてもらおうと(花見だけに?)作ったお弁当です。

 

子供に朝作ったお弁当に、何品か追加して作りました。そんな大したものは入ってないんだけど、メニューはね・・・

 

・卵焼き

卵焼きって好みがありますよね。私は、甘い卵焼きはあんまり好きではないので、うち  はしょうゆと砂糖の入ったご飯のおかずになる卵焼きです。でも、普段、子供のお弁当にはあんまり入れません。だって、卵焼きって手間がかかりますよね。これは、ネギが入っています。たま~に作る時は、真ん中に溶けるチーズを入れる時もあります。

・鳥の照り焼き

これは味には自信があります。だって売ってる照り焼きのたれの味なんだもん。♬て  へ。そんなん、私が味付けするより絶対においしいに決まってますよね。ふふ。

アスパラベーコン

ちょっと型崩れあり。でも、これもベーコンの味だからねえ。まずい訳がないよねえ。

・ひじきと豆の煮もの

ひじきとか切り干し大根の煮物とか、 作る時はたくさん作って、冷凍してお弁当用に

してます。これは自分の味付けだけど、今回は上手くいったような・・・

・こんにゃくのピリ辛炒め

これは、鎌田のだし醤油味。てへぺろ。火さえ通せばまずい訳がない。

ブロッコリーとトマト

お弁当なので、下にマヨネーズがついてます。

・オレンジ

子供のお弁当も、毎回フルーツで隙間をうめます。朝、フルーツを食べて欲しいけど、なかなか食べてくれないので、「食べろよ」って圧をかけながら入れます。(笑)

・焼き芋

サツマイモが安い時に細めの物を買って、焼き芋を作って(と言ってもグリルで焼くだけ)輪切りにしてラップして冷凍してます。それを凍ったままお弁当に入れたりします。(これも隙間を埋めるため)

・お饅頭

業務スーパーに、冷凍の小さいお饅頭とか、スイートポテトとか売ってるので、それを、やはりこれも隙間を埋めるために入れてます。時にはバームクーヘンを切って、冷凍しておいて、それを入れることもあります。甘いものが一品入ってると、満足感あるかなと思って。

・おにぎり

今回はお花見だったので、おにぎりにしました。梅干しを細かくしたものと、青じその細切りと、白ごまを混ぜたご飯をラップで握りました。衛生面ばっちりです。

 

3人子供がいますが、幼稚園も中学校もお弁当だったので、なんだか15年以上お弁当を作る事になりました。最初はめんどくさいな~なんて思ってたんですよ。

 

でもね、ある日子供の幼稚園の保育参観が終わって、次はお弁当の時間って時に、帰ろうとして最後に息子を見たら、私のお弁当を大事そうにかかえていて、(他の子もです😢)なんてかわいいんだろう、こんなにママのお弁当を楽しみにしてくれるのかというのを見たんです。15年ほどたった今でも、あの光景は私の目に焼き付いていて、それが私のお弁当作りの、原動力になっているのかもしれません。

 

と、今かっこいいことを書いたけど、何年もお弁当作って、上手になったかと言えばそうでもなくて、(へへ)上手に手抜きすることを覚えてしまいました。(*^_^*)へへへ。

 

最初はね、お料理の本を見て、プチトマトの中をくり抜いて、そこにゆで卵をマヨネーズで和えたものを詰め込むなんて、めんどくさいものを、張り切って作ったのですが、悲しい事に残されたり、どうもうちの子は、みんなふりかけが苦手だったみたいで、個包装されたふりかけを大量に買ったら、いらんと言われたり、紆余曲折(大げさ?)な日々でした。

 

そんな中で、最終的に私のお弁当はこういう形に落ち着きました。

 

ちょっとお肉が焦げちゃったので、恥ずかしいんだけど・・・メイラード反応を意識しすぎてしまった。💦

 

大体メインが豚肉か鶏肉か魚なんだけど、豚肉を野菜かキノコでかさましして、炒めて焼肉のたれ味なんかにする時が多いのですが、この時は、いつも同じじゃ飽きるだろうと思って、かんたん酢で炒めました。ドレッシングでいためたりもします。適度に酸味が飛んで、豚肉がさっぱり食べられます。この日は豚肉を細く切って、袋にいれて小麦粉をまぶして、玉ねぎと炒めて、最後に青じその細切りを入れて、かんたん酢で味付けしました。ゴマドレッシングや青じそドレッシングで味付けする時もありますが、今のところクレームはないです。

 

となりのキャベツとウィンナーの卵とじは、前の日の夕飯の残りです。

 

後は、プチトマトは我が家ではマストです。なぜなら、赤い丸が一つ入っているとおいしそうに見える!って、私が勝手に思っているからです。

 

あとは、パイナップルとお饅頭で、隙間を埋めています。

 

テレビで見たのか本で見たのか、お弁当に5色の色が入っていると、おいしそうに見えるとあったので、それを守っているんです。5色はね、白、黒、赤、緑、黄色です。

 

白は、私の中ではご飯があるからいいじゃないかと言うことにしてまして、赤はプチトマトを入れて、黄色は、フルーツかデザートかでなんとかなるでしょ。緑は、たまにない時もあるのだけど、そういう時は、お弁当のカップに緑を多用してカバーしてます。(笑)

 

でね、黒がないじゃないと思われた方もあるかもしれませんが、へへへ、なんと!お弁当箱が黒なんです。これで、5色のお弁当は、私の中でコンプリートしてるんです。もしかしたら、のり弁とかにしたら、黒も使えるんだろうけど、うちの子供達って、漬物も昆布も梅干しも嫌い、白いご飯が好き!って子なので、(ついでに息子はケチャップもマヨネーズも、カレーも苦手)おかず少なめでも大丈夫なんですよ。

 

次の日は

メインは前の日と同じ材料で、豚肉に片栗粉をつけてシソで巻いて、めんつゆ味にしました。片栗粉がついてるから、ちょっとめんつゆを煮詰めてからめました。あとはオクラの胡麻和えと、隙間うめ部隊三品です。黄色いのは、業務スーパーの冷凍スイートポテトを、オーブントースターで焼いたものです。

今日は鳥の照り焼きと、キノコとウインナー炒めと、隙間埋め部隊3種です。緑の弁当カップ多用バージョンです。

 

こんな手の抜き方をさらす、お恥ずかしやな記事ですが、もしかしたら忙しい皆様の、参考になるかと思い、投稿しました。てへ

 

読んで下さり、ありがとうございました。

 

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私の子育て日記 子供に勉強のやる気を出させる私なりの方法

昔聞いた話ですが、男の子は10才ぐらいで将来どうなりたいかを考えるそうです。女の子は、おしゃれや食べ物の事に興味をもって、あんまり考えないそうです。

 

手前味噌で申し訳ないですが、私の紹介の所にも書いてありますが、長女は小さい頃から勉強が出来て、高校も一番ではないですが、地元じゃ「おー!」って言われる所に行っていました。

 

小学校の頃は、先生のお話をちゃんと聞ければ、(聞ければ、これが問題なんですよね)そんなに変な成績にはならないと思うのですが、中学生になると、家で勉強しないと学校の勉強にはついていけません。

 

ちなみに次女は、中学校1年生の時に先生に

 

「崖っぷちだよ・・・」って耳打ちされて、しかたなく中2から塾に入れました。

 

長女は中三の時に、1年だけ数学の塾に行っただけで、あとは家での勉強(私もみてやったけど)と通信教育だけで、その高校に入りました。コスパいいですよね。

 

なんでそんな風になったかと言うと、

 

長女には目標があったのです。

 

ほんとは長女は、病気の人を助けるお医者さんになりたかったのです。(なれなかったけど)

 

これは前にも書いたのですが、親が決めたのではなく、自分で将来を考えて、また

 

「どうしてもこの高校に入りたい!(入りたい部活があったから)」

 

そういう自分の目標があったから、頑張れたんです。

 

大人もさせられてなにかをするのって嫌ですよね。

 

自分の未来のためになら頑張れると思うのです。

 

なので、3人の子供達とはよくそんな話をしました。

 

親は先に死んでしまうから、その時にちゃんと子供が自立できるように、本人はどうなりたいのか、親はどんなお手伝いをしてやればいいのか、そう思いながら子育てしました。もしかしたらそれは偏差値の高い学校に行かなくても済むこともあると思います。

 

長女の学校はね、進学校だったけど、同じクラスにものすごくお料理が得意な子がいて、その子は調理の専門学校にいきました。それは素晴らしい選択だったと思います。

 

前回読んで下さってる方は、あれ?って思う方もあると思いますが、息子は小さい時から、こういう職業に就きたいっていう目標があって、高校の先生に「なんでこれですか?」って私が聞かれた時に、ちゃんとお話しして、先生も「なるほど」って納得してくださいました。

 

そのためには勉強しないといけないから、1年浪人してがんばってもらわないとって思いますし、高校に入ってからは息子なりには努力していました。

 

長女の高校も次女の高校も、せっかく勉強して入ったのに、入ってしまったら勉強する意味がわからなくなって、やめてしまう子も何人かいました。

 

もちろん子供だから、目標が変わる時もあります。でも、子供の人生の主役は子供なんだから、その時その時、親は子供を応援する人になってあげると、子どもも頑張れるんじゃないかと思います。

 

私は、次女の習い事で、親の方が前のめりになってしまって、あれは失敗したなって思っています。親が前のめりになればなるほど、子供のやる気って無くなるみたいですね。とほ。

 

ま、それも経験だから必要なのかも知れませんし、考え方は人それぞれだとは思います。

 

ただ、お子さんの勉強で悩んでいる方があれば、一つの情報としてお伝えしました。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 さようなら104万円

息子は予想通り、大学の後期の試験に落ちて、4月から予備校に行く事になりました。

 

 

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それにしても塾の授業料高すぎる・・・なんと104万円!!

 

次女も浪人してるんだけど、次女の時は80万くらいだったので、今回もそんな気でいたら、104万円もしたのです。

 

すべての物が値上がりしてますね。

 

ま、息子の学資保険なんで、わたしが四の五の言うこともないのですが・・・

 

合格発表の日、息子は小学校からの友達と、カラオケに行っていました。一人で合格発表を見る勇気がなかったらしいです。

 

不合格だったことは、ラインで知っていたのですが、帰って来て、「落ちた」って言って、元気なさそうでした。「泣いた?」って聞いたら、「カラオケボックスの外に出て泣いた」って言ってました。

 

今まで、中学受験も高校受験も、落ちてもケロッとしてたのに、今回はショックだったみたいです。自分で、ここがいいって決めて頑張って来た所だったので、ショックだったのかもしれません。

 

高校受験の時、息子はこの前まで通っていた高校の試験が終わって、次の日も、もう一つ受験する予定だったのに、友達とマックで、だべってたのです。案の定、次の日に受けた高校は(こっちのが偏差値が高い)不合格でした。息子と同じぐらいの成績の子で、「勉強するから帰る」って、マックに行かなかった子は合格しました。

 

当たり前ですよね。

 

でも息子はへーっちゃらのへいで、「僕こっちに行きたかったんだもん♬」って、言ってました。私は強がりかと思っていたのですが、それは、本心だったのかもしれません。私が、行って欲しいと思っていただけだったのかもしれません。

 

現に大学に不合格だった時に、「やっぱりあっちに行ってればよかったんじゃないの」って、言ってしまったのですが、「そんなことない!」って。それに、「おかあさん入学式の時に、おめでとうじゃないよねって言ったよね(~_~メ)」なんて、ついでの文句も言われてしまいました。

 

でも、今回は本当に自分が行きたかった学校だったので、ダメージは大きかったみたいです。

 

前に書いたんだけど、一緒にカラオケに行った子は、息子の行きたかった大学に合格しました。小学校1年生からずっと仲良しだった子です。(もし、息子が来年そこに行ったら、敬語で話すのだろうか?パイセン??ごめんなさい、横道にそれました)

 

それに、幼稚園から仲良しだった子も、合格したそうです。

 

その子たちは、息子が落ちた高校と同じぐらいのレベルの高校に行っていました。

 

それで、「やっぱり○○高校(息子の落ちた高校)に受かってれば、こんなことにならなかったじゃん!!」って、言ってしまいました。

 

でも、よく聞くと、その子達は第一志望の高校に落ちて、そこに入ったそうです。

 

あ、じゃあ、そもそも違うねって思いました。

 

息子が落ちたことを知り、その子が息子に「元気だせよ」なんて言ってくれたそうです。

 

もしかしたらその子たちは、すでに3年前に、今の息子と同じ気持ちを味わっていたのかなって思いました。そういう悔しかった気持ちが、最後の原動力になるのかなって思いました。

 

親って、子供は失敗も何にもない人生を進んで欲しいと思いがちだけど、(もちろん私もそうです)失敗しながら乗り越えていく人生も、いいのかもしれないですね。って言うか自分も、失敗だらけの人生だったのにね。

 

後期の合格発表の日以来、息子は毎日お弁当を持って、塾の自習室に行くようになりました。今は授業が始まったのですが、授業のあと自習して帰って来ます。ラインの一言に”○○塾4年生”って書いてありました。もちろん携帯は、台所の棚に自分で置きました。携帯を1年封印する覚悟が出来てるみたいです。

 

2浪はしないって言ってます。次は、理想を掲げ過ぎず、何校か受けるつもりみたいです。

 

この受験で、多分息子にとっては初めての挫折を味わい(母は何度もへこんだが)ちょっとたくましくなったような気がします。

 

さようなら、甘えん坊の息子・・・

 

さようなら104万円・・・

 

くすん。(;_:)

 

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私の子育て日記 コロナになってしまった!!・・・ぴえん②

前回の続きなのですが、随分日にちが空いてしまいました。

 

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前回の最後にブラック照山になりましたって書いたけど、ブラック通り越して、漆黒になってました。

 

人間って、一人で考える時間が多いと、いい事考えなくなってしまうのかしら?適度に忙しい方が、いらない事を考える暇がなくていいのかもしれませんね。少なくとも私はそうかもしれないです。

大体私が考えるのは、毒親に育てられた悲しい過去と、3人の子育てが大変だったのですが、それが過ぎた頃、ちょうど55才ぐらいから

 

私の人生ってなんだったんだろう・・・ってぐるぐる頭の中を巡るんですよね。

 

結婚前は母にいいようにされて、結婚してからは姑に、仕事をしない方がいい、早く子供をと言われ、一人産んだら一人っ子はかわいそうと言われ、二人産んだら、男の子がいないのはと言われ、3人の子育てに追われていたけど、落ち着いたのが55才ごろで、その時から、そういうネガティブモードに時々なっちゃうんですよね。

 

おまけに、3月4月ってみなさん物入りじゃないですか?私は3月前半に東京に行く用事があって、加えて次女の所に行って何やら買ってやったりして、コロナの薬代も地味に高かった・・・加えて夫が車で違反して罰金を払い、ついでに予想通りだったけど、息子は不合格で予備校に通うことになり、(これは後日書こうと思います)炊飯器は壊れ、パソコンのウイルスバスターの期限が切れ、変な広告が入るようになり・・・私もパソコンもウイルスかよ!と、しょげながら新しいソフトを買い・・・

 

おまけにね、ぎっくり腰ならぬぎっくり脇?なぜかわからないけど、左の肋骨がぐぎっ!てして2日動けなくて、そのあと3日と空けず針に通い・・・

 

ほんとに1年分の不幸がまとまってやってきた日々でした。

 

そんなんで不幸かよ!甘い!と言われてもいいような、参りましたってブログを書いてる方もいらっしゃるから、文句言ってては仕方ないのだけど、この1か月、絶賛へこみへこみシーズンだったのです。

 

確か去年の今頃も、絶賛へこみへこみだったんですよ。去年よりは今年の方がましだったんだけど。

 

で、どうやって抜け出したかと言うと、やっぱり家族のお陰でした。

 

私がコロナの時に、家族で家事を分担して表を作っていたみたいなのですが、ある日、待てども暮らせども夕飯を隔離部屋に持って来てくれなかった時がありました。下にいる家族に電話をしたら、その日は息子の当番だったのだけど、作って誰かが持って行ってくれるだろうと思ったらしかったのですが、長女と次女は気づかないでお風呂に入ってしまっていたのでした。

 

ぴえん・・・みんな私の事は忘れてるんだ・・・( ;∀;)

 

そう思って一人部屋で膝を抱えてすねていたら、次女がやって来て、

 

「お母さんごめんね。明日は私が当番だから、お母さんの好きなもの作るよ」って言いました。私はすねていたので、「じゃあ!ステーキ!」って言ったら、「わ、わかった。でも、ご予算的に他の家族は冷ややっこになるかも・・・」って言ったので、「お母さんはそうやって子育てしてきたもん・・・」とすねたついでに言ってしまいました。そしたら、次女が「そうだね。いっつもお母さんは、自分の事より私たちの事を優先してくれていたよね」って言われたんです。そう言って私の肩を抱いて、よしよししてくれたんです。

 

見てたんだ。知っててくれたんだって思ったら、

 

つい「ステーキじゃなくていいよ」って言ってしまいました。ま、そもそも本心では無かったんですけどね。

 

そのころ夫との仲も険悪で、「もう離婚!!」なんて話になったのですが、一周回って

 

あれ?私って夫の悪い所ばっかり見てるじゃん!って気づいたのでした。

 

人間なんて、100%完璧な人なんていないのに、夫の気に入らない所を、私が変えよう変えようと思うから、ケンカになるんじゃないの?って思ったんです。考えてみたら、いい所もたくさんあるのに、そういう所が見えなくなっていたんですよね。第一ちゃんとご飯食べさせてくれるだけでもありがたいのに、結婚して25年も経つと、そっちは当りまえになっちゃってたんですよね。反省反省。

 

そんな時に、たまたまユーチューブで、竹取物語の深読み解説みたいなのを見たんだけど、苦労して育てた子供が、立派に育つのは苦労の甲斐があると言ってました。確かに人間一人育てるんだから、生きもので意志があるから、楽ちんなわけはないですよね。それが3人なんだから、大変なのは当りまえなのに、私って

 

かわいそうなおれ様・・・(BYばいきんまん)って、ぐーるぐるぐる妄想してたんですよね。

 

立派かどうかはわからないけど、犯罪者にもならず、普通にまっとうに育っているんだから、良かったって思った方が幸せですよね。(ま、息子は浪人したが)苦労の甲斐はあったんですよね。

 

それからね、次女の仕送りなんだけど、次女は浪人してるから、お姉ちゃんより1年余分に次女だけ払ってやるのは、不公平じゃないかと思って、今月から今までより減らしていいか次女に言ったのだけど、次女はいいよって言ってくれました。アルバイトに明け暮れて、学業がおろそかになるのは良くないから、アルバイトしなくても困らないくらいは送っていたのだけど、部活終わりにご飯食べに行ったりして、生活は大変だったと思うのです。でも、これから大変だ!って思ったのか、自炊に目覚めたようで、作り置きしたり、節約生活を考えたりするようになりました。

 

ある日次女から電話があって、「今こんにゃくカレー作ってる」って言ってました。ちゃんとお金のことを考えてくれるのはうれしいと思いましたが、次女は最近「お母さんは今まで自分の事は後回しにして、私たちを優先にしてくれたよね。もうお母さんの好きな事した方がいいよ。きれいなお洋服買いなよ。好きな事しなよ」なんて言われてしまい、色んな気持ちが起きました。

 

自分は切り詰めてこんにゃくカレー食べて、母に好きな事しなよ。好きな物買いなよって言ってくれる次女の事を思ったら、ありがたいけど申し訳ないですよね。

 

「はい!そうします」なんて母は言えないですよね。

 

実は長女も、今年夫が単身赴任するのですが、「パパが行く前に家族で温泉に行こう」って言って、ボーナスを取っていてくれています。

 

フツーの家で、専業主婦で3人の子供を大学まで行かせるのは、とっても大変だったけど、(息子は浪人生だが。くどい私。てへ)ちゃんと子供は、私たちの苦労を見ていてくれたんですね。

 

ものすごく経済的には大変だったけど、もしかしたらお金では買えない大切なものを私は得られたのかもしれないと思いました。(あ、でもお勧めはしません。とっても大変だったから。でも、働くのも、また違う大変があると思います)

 

母は愛情の薄い人でした。私はとっても悲しくつらい思いをしました。それだからこそ子どもにはそんな思いをさせたくなくて、子供には出来る限り愛情を注ぎました。

 

母に育てられていなかったら、そうはならなかったかもしれません。

 

もしかしたら、今のこの幸せのために、今までの苦労があったのかも知れないですね。

 

そう思えたらやっと漆黒から抜け出せたのでした。たまには落ちる時もあってもいいのかもしれないですね。そうじゃないと、幸せに気づけないのかも知れませんね。(あ!うそです。もう漆黒嫌です。(^_^))

 

長かったけど、読んで下さりありがとうございました。コロナの時にあたたかいコメント下さった方々ありがとうございました。スター、読者登録、コメントありがとうございます。ブログを書く励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の子育て日記 コロナになってしまった!!・・・ぴえん➀

私はコロナになりたくなかったので、今までとっても気を付けていました。5類になった今でも、流行りだしたころと同じように、手洗いうがいを欠かさず、外でも必ずマスクをし、外食しても、物を口に入れる時だけ妖怪のように(?)マスクを下ろす、家の中に入る時には、触ったドアノブは必ず消毒して、買い物の時も、店に入る前と出る時、必ず消毒をするという生活を徹底していました。

 

だって、コロナになりたくなかったもん。

 

なのに、なぜ私がコロナになってしまったのか?

 

それは・・・

 

家庭内感染でした。ぴえぴえん・・・

 

今どきの若者ってね、マスクしないでしょ。次女が就活のために東京に行ってたんですよ。東京がいけないのではなくて、人が多いでしょ。次女の住んでる田舎の都市とはまったく人口密度が違うんですよね。で、日にち的に、多分東京でもらってしまったような・・・残念な東京みやげとなってしまいました。ぴえん。

 

それでね、さらに悪い事に、若い人って軽傷というか、ほぼ無症状な人が多いんですよね。次女はその数日後の夜中「おかあさん・・・胸が苦しい。(;_:)これはコロナだよ・・・」って言いました。で、前に息子が飲んだ薬があったと思って、息子を起こして薬を出してもらいました。次の日熱を計ったら、37度1分。びみょーでしょ。発熱外来にかかるほどの熱でもなく、次の日も鼻水だけで症状ほぼなしだったので、「コロナの薬じゃなくて葛根湯で様子をみようか」って様子を見ていました。何度も娘は「コロナだコロナだ」って言ってましたが、とてもコロナとは思えない元気さだったので、病院に行く事もなく、治ってしまいました。

 

でもね、それがコロナだったみたいです。それしか感染経路が見つからないのです。

 

病院に連れてってあげなくて申し訳なかったなって思いましたが、今まで次女は何度も「コロナかも!!」って言って発熱外来に行って、陰性だったことが何度もあったので、今回も違うだろってたかをくくっていました。

 

そういうときに限って、ホントのコロナだったんですよね。とほ。

 

でね、コロナだったとは知らず、普通通りの生活をしてたんです。次女は今春休みなので、帰省してたのですが、部活の関係で14日から2泊3日でアパートに帰るので、私も次女の部屋の掃除もした方がいいと思い、一緒に行く事にしました。

 

でね、情報多くて申し訳ないのですが、次女の部屋はすごかった・・・

 

何がって

 

汚部屋

 

これはちょっと次女のために、お伝えはオブラートに包んでおきたいと思いますが、なかなかの汚部屋でした。

 

大学生なんてどうせ汚くしてるだろうと思ってはいましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。

 

で、次の日娘が部活に言ってる間に、棚を買ったり片づけに必要な物を買ったり、掃除をしたり、夜は二人で居酒屋に行って、元気に過ごしていたのです。

 

でもね、次の日の朝起きて

 

「あれ?ふくらはぎが痛い・・・昨日歩き過ぎたかな。掃除張り切りすぎたかな。」なんて思いながら熱を計ったら37度9分!!

 

その時もまさかコロナだとは思わず、インフルエンザかな~なんて思ってたんですよ。

 

でも、その後病院に行って検査をしたら、コロナの陽性でした。ぴえん・・

 

その日こちらに帰って来る予定だったのですが、次女のアパートから我が家までは車で2時間かかるので、さすがにこの熱で2時間車を運転する元気は無くて、夫に電車で来てもらって、運転してもらって帰ることにしました。

 

そのころ長女に電話をすると、長女は次女の汚部屋2(実家の次女の部屋、てへ)を私の隔離部屋とすべく、息子と二人で掃除をしてくれていました。汚部屋2はそれほどではなかったので、部屋にあったものをクローゼットに詰め込んだだけといえばそうだったのかもしれないです。(ま、よしとしよう)

 

次女は、「お母さんに部屋の掃除をさせて、コロナうつして、パパにもここまで来てもらって、お姉ちゃんと○○(息子の名前)に部屋の掃除してもらって、ほんとに申し訳ない・・・( ;∀;)」って反省しきりでした。

 

アパートの掃除してる時も「お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。」って何度も申し訳なさそうに言いました。

 

そして、「ほんとは、掃除しないとなって思ってたんだよ。でも、忙しくて・・・」って言いました。

 

これは意外と怒るより効果があるのかなと思ったりもしました。

 

でもさ、普通の子育てしてるお母さんだったら、これくらいどうってことないですよね。子供たちが小さい時の方が、ずっとずっと大変だったと思うんです。もっと理不尽な事をしなくてはならなかったですよね。

 

長女が1才ちょっと過ぎたころにね、今回くらいの38度くらいの熱を出したんです。その日出張だったか何だかで夫はいなくて、フラフラでお風呂に入れて、もうろうとしてご飯を食べさせて、寝る前に、長女に「○○ちゃん、お母さん今日はお熱があるから絵本を読むのはお休みにしてくれない?」ってお願いしたんです。でも、ちびっこの長女は「え~!やだ~!」って言って、仕方なく絵本を読みました。

 

あの時はさすがのかわいい娘も悪魔に見えました。(*_*;

 

そんなことって子育てしてたら日常茶飯事ですよね。

 

子育ての勉強で、小さい子供は”悪意のない自己中心”だと教えてもらいました。

 

それに比べたら、もう大きくなった大学生の次女は、自分の事は自分で出来るし、そんな理不尽なこと言いませんもんね。

 

汚部屋の掃除したって、コロナうつされたってあの時よりはましって思ってます。

 

それくらい子育てって大変でした。(みなさんそうですよね。らくちんな子育てなんてないですよね。母はすごい!!)

 

でもね、病気になって考える時間が出来ると、ネガティブ照山になったりもしたんですよね・・・

 

ちょっと長くなったので続きはまた次回に書きます。

 

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私の子育て日記 残念!息子不合格 ( ;∀;)後編

前回の続きです。

 

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激おこぷんぷん丸(古いですね)の私は、息子にこうもいいました。

 

子どもだって親に全部言いたいこと言うわけじゃないでしょ。でも、親だって子供に言いたいこと全部言ってる訳じゃないんだよ!!って。

 

だってね、息子は3月1日に卒業式を迎えたのですが、主人は年末年始入院してたので、さすがに休みは取れんと言い、その代わりに長女が仕事の休みを取って、次女も就活で忙しい中、息子の卒業式に出てくれたのでした。長女はその日までに出さないといけない仕事があったので、午後は家で仕事をしました。

 

「かわいい弟のために、休みとって卒業式に出てやらないとね」なんて言ってたのです。でも、そんなこと息子には言わないですよね。言わなくても大切だからしてあげる事ってありますよね。

 

その日は一日中息子にムカついていました。(# ゚Д゚)

 

でね、その日10時ちょっと前に、息子は塾から帰って来たのですが、帰って来て私に

 

「今朝はわがまま言ってすみませんでした。後期頑張ります」って言ったんです。

 

ひえ?

 

私の言葉で、思う所があったようです。

 

そういえばその朝、息子が「お母さんは、自分が絶対正解だと思ってる。お父さんは言って人が変わるって思ってるけど、それは違うってお母さんは言ってたよね。でも、言われて気づくこともあると思う。」って言ってました。

 

でもさ、今まで言いたいこと言わずに、あんたを育ててきたんだよ。あんたのいい所を見て、失敗しても許して、のびのび育ててきたんだけどね。

 

だって、例えば勉強だって、人に言われてさせられてるってつらいと思うんですよ。そうならないように、育ててきたんですよ。

 

でも、やっと今回の件で気づいてくれたみたいです。

 

あの日以来、息子は変わりました。お弁当渡したら「ありがとう」って言いました。お弁当箱も、言われなくても流しに入れるようになりました。(世の人には当たり前かもしれないけど)

 

やっと気づいてくれました。

 

今まで自分は、どんなに周りに愛されて、大切にされて、許してもらって生きて来たかを。

 

みんなそうですよね、大人になるとわかりますよね。100%完璧な自分ではない。色んな人にお世話になって、許されて生きてるんですよね。

 

やっとわかったみたいです。

 

確か長女も、このぐらいの年頃でした。大学に入って一人暮らしをして、自分でご飯作ったり掃除したりして、親のありがたみがわかったって言って、一回りも二回りも大きくなって帰って来ました。次女はね、ある時、夜泣いていたのです。なんで泣いてるか聞いたら、ありがたい。自分は恵まれてる。感謝しないとって泣いてたんです。

 

そう言えば自分も、20歳の時に祖母が亡くなって、祖母にどれほど大切にしてもらったか、いなくなって初めて気づくことが出来ました。未だに亡くなった祖母には、感謝しかないです。

 

息子もそんなお年頃になったのかも知れないです。受験は残念だったけど、大事な事に気づいてくれたみたいです。

 

明日、後期の試験なんですが、はっきり言って負け戦、消化試合です。前期で落ちたのに後期で受かるわけないんです。でも、「最後まで頑張って誠意をみせて」って言ったので、今日も塾に行ってます。

 

前期でするっと受かっていたら、大事な事に気づかずに、大人になっていたかもしれません。まあ。良しとしようかな。

 

所で話は変わりますが・・・

 

うちの子たちの幼稚園は、お弁当持ちの幼稚園でした。長女と次女が年子なので、4年間毎朝お弁当を作って、次の年は1年空いて、その次の年に息子が幼稚園に入ったので、また3年間お弁当を作って、次の年は3人とも小学生だったので1年空いて、それから、中学校も給食ではなかったので、それから11年間お弁当を作って、やっと息子が高3なので、お弁当生活も終わりかと思っていました。最後のお弁当って、すごいのを作ってブログにあげようかと思ってたのですが、受験前で学校を休んだりしていて、いつの間にかフェードアウトしてしまいました。さみしいなあなんて思っていたら、まさかのもう1年お弁当を作る事になりそうです。きゃーΣ(゚∀゚ノ)ノキャー

 

さみしがっていたかった・・・まさかのこんな形で、もう1年お弁当を作る事になろうとは・・・

 

仕方ないですね。もうちょっとがんばろ。

 

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