私の子育て日記 私が専業主婦になるまで➀

私は、結婚して25年、ほぼ専業主婦なのですが、結婚した当時は、子育てが落ち着いたらパートに出るつもりでいました。

 

でもね、なぜかほぼ専業主婦で過ごしてしまいました。(今、働くか検討中です。)

 

年子の娘二人と、次女と4歳離れた息子がいるのですが、世の中には、上手にパートもして子育ても頑張っている方がたくさんいるのだけど、私はそれが出来ませんでした。

 

結婚した頃は仕事をしていたのですが、最初の子供を流産して、仕事よりも大切なものに気づいて、仕事を辞めて(実は派遣の契約が切れて、更新がなかったのです。以心伝心なのか、私が仕事はもういいやって思ったら、会社からここまででって言われました)

 

1998年の12月に結婚して一緒に住み始め、5月に親せきや友人を呼んで披露宴をして、次の日から新婚旅行に行ったのですが、妊娠してたのに、全く気づかなくてプール入りまくりだったのに、赤ちゃんはしがみついていてくれたのか、何事もありませんでした。

 

その後妊娠したことに気づいて、病院に行ったのですが、最初はあんまりいいことを言われませんでした。どうも、赤ちゃんはあんまり育っていなかったみたいです。仕事も忙しかったし、食べるものにも気をつけていなくて、”THE不健康”な日々だったので、当りまえですよね。

 

そして少し出血もしました。

 

病院に行ったら、先生が

「心拍が見えるから、安静にしていればなんとかなる」って言ったのです。

 

で、仕事をお休みして実家に帰って安静にすることにしました。

 

でもね、私には母になる自覚がなかったのかも知れません。

 

母を含む回りの人が、「子供が出来たんだから、もう仕事はやめた方がいい」って言うのを聞けなかったのです。

 

それに、突然仕事を休んだので、会社の人達は大変だったと思うのですが、仕事のことで何度も電話がかかってきました。

 

ほんとはね、安静ってトイレ以外は寝てないといけなかったみたいです。

 

トイレ以外は寝てろって、今なら「はい!喜んで!」って出来るけど、(*'▽')その当時の元気が有り余っている私には苦痛以外の何ものでもありませんでした。

 

ついつい、実家の掃除が出来ていないのが気になって、階段の掃除をしたり、仕事の電話に出て動いたりしてしまいました。

 

でもね、その時も赤ちゃんはまだ頑張っていたんですよ。

 

妊娠したことがある人ならわかると思うけど、妊娠すると急に体に変化がありますよね。それも怖くて、母になる自覚もなくて、やったー!って思うより、「どうしよう・・・」って気持ちの方が強かったんですよね。

 

出産って怖いし、私がお母さんなんて・・・

 

ダメダメですよね。

 

そして、母にダメ押しで仕事を辞めろと言われた時に

 

「みんなみんな仕事を辞めろって、そしたらどうやって生活するの!!妊娠したらビールも飲めないなんて!!!もう嫌だ!!」って言ったのです。

 

そしたら、その夜急に大量に出血して、次の日になっても出血が止まらず病院に行ったら心拍はもう見えなくなっていました。(;_:)赤ちゃんに私の気持ちが伝わってしまったのかもしれませんね。

 

赤ちゃんがおなかの中で亡くなったら、すぐに出さなきゃいけないらしいですね。

 

ここが私っぽいんだけど、「朝ご飯食べましたか?」って聞かれて、出血してるのに実はちゃんと朝ご飯たべて病院に行ったので、(てへ)麻酔が出来ないと言われ、麻酔なしで、そうはしたんです。

 

あんなに出産にびびっていたのに、出産と同じぐらい痛い思い(もしかしてそれ以上かもしれないです。痛すぎて気絶しました💦)をして、赤ちゃんを失うって、ほんとにダメダメだったなって思います。

 

でも、その時に本当に大切なものは何だったのかやっと気づけました。

 

命より大切な物ってないんですよね。

 

私が、お母さんになり切れていなかったから、私が赤ちゃんを殺したんだって、ずっとずっと、自分の事を責めていました。でも、その後、「もしかしたらそうじゃなかったのかも」と、思うことがありました。

 

ちょっと長くなったので、続きは次回にします。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 七夕編

今日は七夕なので、七夕らしい夕飯を作りました。

 

あれ?でもなんか向きが・・・まあ、おばさんなのでお許し下さい。

 

七夕と言ったらそうめんらしいのですが、それでは味気ないので、その他もろもろを作りました。ちょっと前に、こういう分かれているお皿だと、色んな種類を作っても、(残り物を寄せ集めても)洗うのが1枚で済むわい。これで手抜きが出来ると思ったのですが、9種類は多いですね。失敗失敗。

 

数日前に節約してるとか書きましたが、たまにこうやって色々作りたくなってしまうのです。

 

でもね、見た目と違って、意外と材料費は安く済みました。多分1人前300円もしないと思います。ま、我が家にとっては奮発した方だけど、子供が喜んでいたので良しとしようと思います。

 

メニューはね・・・

 

とうもろこし

とうもろこしってね、ゆでるのめんどくさいでしょ。皮のまま600Wで8分チンすると(今はチンじゃないですね)ゆでた状態になりますよ。簡単簡単。皮のまま、電子レンジにぶち込むだけ。(*'▽')

 

厚揚げ焼き

 

油抜きした厚揚げに、みじん切りの青じそをのせて、甘い味噌とチーズをのせて、オーブントースターで4分焼いたものです。シソのかわりにネギをのせる時もあります。

 

ナスの揚げびたし

 

お隣からなすを頂いたので作りました。長女が好きなので、時々作ります。

 

エビの塩焼き

 

我が家ではエビはなかなか登場しないのですが、これ、バナメイエビで、安く売っていたので買いました。なんと!12匹で580円でした。バナメイエビで殻付きって珍しいですよね。そのまま焼くと丸まっちゃってちょっと悲しいから、竹串をさして(大きく見えるように。てへ)焼きました。

 

冬瓜の水晶煮

 

かつおだしをきかせて煮ました。ついでにかつおぶしもふりました。

 

きゅうりとミョウガイカの酢の物

 

きゅうりもお隣から頂きました。

 

ローストビーフならぬ、ローストポーク

 

作ってあるのを買ったのだけど、100グラム198円で、500グラムのパックを買ったんだけど、100円引きだったので、買ってしまいました。残った分は小分けして、冷凍してお弁当の時に困ったら使おうと思います。

 

オクラとかにかまの寒天寄せ

 

これ、初めて作りましたが、家族に好評でした。寒天をふやかして、だしに白だしで味付けしたので寒天を煮溶かして、四角い入れ物に、2回に分けてオクラとかにかまを入れました。初めて作ったのですが、もうちょっとキレイに作れると良かったかも。七夕なので、オクラってお星さまっぽいかなと思って、ちょっと登場させてみました。本当はそうめんにもオクラの輪切りをのせるつもりだったのですが、忘れちゃいました。(#^.^#)

 

鶏もも肉のしのだまき

 

これもあんまり作ったことがなかったので、中身が均等になりませんでした。次はがんばろ。インゲンは我が家のインゲンです。

 

冷たいミニ茶碗蒸し

 

何にも入れなかったのですが、たまたまちょっと前に作ったしいたけの煮物が1こだけあったので、4つに切ってのせました。

茶碗蒸しってね、圧力鍋で作ると、あっという間に出来ますよ。蒸すことが出来るように何かついてますよね。それを使うんです。これは小さかったので、鍋の上のカタカタするのが動き出してから、1分で出来ました。普通の大きさの茶碗蒸しだと、入れる水の量にもよりますが、カタカタしてから2分半ぐらいで茶碗蒸しが出来ますよ。

 

七夕って大事な日みたいですね。二十四節気の一つらしく、七夕は夫婦げんかをしない方がいいと聞きました。するなら、次の日まで我慢しましょうって、聞いたことがあります。

9つに分かれたこの皿を一目ぼれして買ったのですが、夫に

 

「これは食いにくい」と言われ、ちょっと

 

はあ?って言いたくなったけど、今日は我慢しました。

 

24才、彼氏いない歴=年齢の長女が(内緒ですが)喜んでいて、普段は料理しないのに、「お母さんにこれからお料理教えてもらおうかな」なんて言いだしたので、良しとしようと思います。

 

が、今息子が塾から帰って来て、「どれが一番おいしかった?」って聞いたら、買ってきたローストポークだと言われて、

 

おい(# ゚Д゚)って思いました。

 

やっぱり、うちの夫と息子は、牛丼でいいのかもしれません。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 私が専業主婦になるまで ➃

前回の続きです

 

現在社会人2年目の長女と、浪人して大学4年生の次女と、浪人中の息子がいます。

 

なんで、こんなことを書き始めたのだろうと、また思っているのですが・・・

 

3人子供を大学まで行かせるのは大変なんです。( ;∀;)

 

そのために子供が幼稚園の頃から考えて、準備をしていたのだけど、目論見が外れたことがたくさんあって、困ったなって思っていたのです。

 

働きゃいいじゃんって思われるかもしれませんが、出来なかった理由を書きたかったのかもしれません。

 

ちょっとパートに行ったり、家で生徒をとって中学生に英語を教えていたこともありました。

 

ホントに働いている人を尊敬するけど、私だけかもしれないけど、パートに出ると、夫に腹がたってきませんか?

 

ある日、生徒を見送った所でファンヒーターの灯油が無くなったので、夫に

「灯油入れてくれない?」って言ったら、「今仕事から帰ってきたばかりだから」って言われたんです。

 

いや、私も神経使って、頭使って、生徒に勉強教えてたんだけど(# ゚Д゚)って思ってしまいました。

 

そのころパートにも出てたんです。時間に余裕も出来て来たのに、家でゴロゴロしてても仕方ない、そうだ!働こう!って思って、たまたま息子の同級生のお母さんが、宅配のお仕事をされていて、キラン★って汗が光っているのを見て、私もあんなキラキラした汗をかきたい!そしてもしかしたら、ああいう仕事って、いいエクササイズになるんじゃないだろうかって思ってしまったのです。それで、たまたま近くのスーパーで、ネットの宅配のパートを募集していたので、そこでパートを始めました。

 

でも、甘くはなかったのです。暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も台風の日も大雪の日も、お仕事はあるのです。そして、階段の無いアパートの4階まで、それも水とかビールとか重たいものを運ぶのはキツかった。ま、それでも自分がこれがいいと思ったのだから、それは仕方なかったし、お陰であっという間に5キロ瘦せたので、願いは叶ったのですが、最初に気づけば良かったのだけど、自分で車を運転してお荷物をもっていくのですが、

 

私って、車の運転向いてない・・・

 

ってことに気づいたのでした。

 

これは致命的でした。なんで宅配の仕事なのに、車を運転するって事を忘れてたんだろう・・・

 

宅配の人って、ちょいって車を停めてるでしょ。あれが私には出来なくて、あれ?ここでいいかな?こっちのがいいかな?なんてウロウロしたり、ナビがついてるけど、どこなのかわからなくなっちゃったり・・・向いてないですよね。(#^.^#)

 

主人が、子供に示しがつかないから、1年は続けろと言うので、1年は働きましたが、ちょうど新しい人が入って、辞めても何とかなりそうな時に、ぬるっとパートを辞めました。

 

そんな頃に、母の体調が悪くなって、実家の母を引き取り介護することになって、ちょっと生活費を入れてくれていたので、そのまま働かないで過ぎてしまいました。

 

塾の方も、新たに生徒をとらないで、それまでの子たちが卒業して、自然にフェードアウトしていきました。ホントは、なんと!口コミで新たにお願いしたいと言って下さった方もあったのですが、介護と夜の商売のダブルはキツイと思い、丁重にお断りしました。

 

それから、母が亡くなってもうすぐ2年なんですが、どうしよっかなって思っているのです。

 

もしかしたら、ギリ働かないでも済むのかなって思っているのです。

 

私ね、子供が小さい頃はものすごく徹底していたんです。

 

今の家に引っ越した時に、主人の父に外食を控えなさいと言われて、それまで子供が小さい時はしょっちゅう外食をしてたんだけど、外食をほとんどしなくなりました。

 

うちの家族って、大食いなんです。育ち盛りの時なんて、リーズナブルな回転ずしに行っても1万円超えちゃう、コンビニでお昼を買ったら、5000円くらいかかっちゃうので、外食をほとんどしなくなり、出かける時も早起きしてお弁当を作って、お茶も家から持っていきました。

 

食べ物も、安いスーパーでまとめ買いすると、一つの単価が安くなるでしょ。家族が多いのでそれでも、食べ物はすぐなくなりましたけど。(*'▽')

 

長女のバレエの発表会の衣装は、オーダーすると最低でも10万円はするけど、自分で作って、1万円ですみました。次女のピアノの発表会の衣装も自分で作りました。

 

それにね、私、掃除がちょっとニガテなのですが、物が増えると掃除が大変だから、とにかく物を買わないようにしました。自分の物もホントは買いたくないんです。物が増えるのが嫌だから。でも、裸で歩いたらおまわりさんにつかまっちゃうから、最低限のものは買うけど、あとは自分で作ったりしました。

 

カレーとかクリームシチューとかも、○○の元とか使わないで作っていました。おやつも手作りしてました。(今はしてないですけどね)

 

昭和ですね。(#^.^#)

 

ちなみに、クリームシチューをホワイトソースから作る時は、泡立出て器を使って混ぜるとダマにならないですよ。あとね、コンソメは入れるけど、ちょっと白みそと砂糖も入れると、小麦粉臭さがマイルドになって、おいしいですよ。そういえば昔は鶏ガラ買ってきてスープも作ってたわ。(何度も言うけど今はしてないですよ。手抜きしてる。ふふふ)

 

味噌と梅干と梅ジュースは夫が毎年作ってくれました。

 

あ、でも専業主婦をお勧めしてる訳ではないですよ。

 

あまりにも生活が大変だった時に、もやしを多用してたら、息子に「○○(息子の名前)この白い棒大嫌い!」と言われてしまいました。とほ。

 

どっちでも、その人その人好きな方でいいと思うのですが、私はこれしか出来なかったんだなって思います。自分で、その時その時選んできたら、こうなっちゃったのかもしれませんね。それぞれ条件が違うから、その時その時考えるしかなかったですよね。

 

ちょっと前に、ある神社に行きました。なぜか行きたくなったのです。

 

その神社は、私たち夫婦が結婚式を挙げたところです。

 

神社に参拝すると、

 

全てはここから始まったんだなって思いました。そして、手を合わせたら、心からありがとうって気持ちになりました。

 

25年前にここで結婚式を挙げて、子供の宮参りもすべてここに来ました。

 

25年の結婚生活は、いいことばかりではありませんでした。

 

てっきり結婚生活はバラ色だと思ってたけど、それとは真逆でした。結婚は人生の墓場だと言う人もいますが、私にとって結婚生活は山登りでした。時々、開けた美しい景色を見られることもあったけど、はあはあ言いながら、登り続けなければならない時もありました。もう、離婚したいって思った事もなんどもありました。

 

でもでもね、そんな大変な日々も子供がいてくれたから、乗り越えてこれたのかもしれないなって思います。子供のために、もうちょっと頑張ろうって思っていたら、いつのまにか苦しい日々が終わっていたこともありました。

 

そして、夫と一緒に子供の成長を喜べるのは何よりの幸せでした。

 

この神社で、さんざん苦労すると覚悟して、三々九度のお神酒をすっかり飲み干した私は、なんとか25年過ぎて来れたことに感謝の思いでいっぱいになりました。

 

ぐだぐだと書いてしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 私が専業主婦になるまで➂

前回の続きです。

 

teruyamayouko.hatenablog.com

 

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私は、今年社会人2年目の長女と、1浪して大学4年生の次女と、浪人中の息子の3人の子供の母です。

 

本当は、子供は二人って思っていたのですが、ある時どうしても男の子が欲しくなりました。

主人の兄は、結婚して10年子供が出来なかったので(出来ましたが)夫も、多分そういうタイプだろうと、夫も私も思っていたので、長女と次女は、子宝神社に参拝にいったり、桃の柄は縁起がいいらしく、流産した後には、桃の絵が描いてあるカップを、知り合いに頂いたりしました。(そのカップは、後日、不妊治療をしている友人にあげました。その人もめでたく妊娠して、そのあと、他の不妊治療中の人に渡ったみたいです)

 

でも、3人目は夫と自然に任せようと話し合っていました。

 

今住んでいる家に引っ越しすると同時に、3人目を授かりました。2人子供がいて、つわりと引っ越しは大変でした。💦

 

その後も、ずっとずっと1人目を流産してしまった自分を責めていました。私の妄想でそうなったのかもしれないけど、何度も見たことの無い子供の夢をみました。もしかして、夢で私に会いにきてくれたのかも、ごめんねって、思う日々が続きました。

 

流産してから、毎年水子供養をしていて、ちょうど7回忌の時に、「この子、男の子だったんじゃない?」って言われました。その時、ちょうど息子を妊娠中で、男の子だって事がわかったところでした。その時、本当に男の子が欲しかったので、もしこの子が出来ていなかったら、そんな事を言われて、もっとへこんで、自分の事を責めてただろうなって思いました。

 

子供って、生まれる前の事を、小さい時は覚えているって聞いたので、子供たちが小さい時には、興味津々で聞いていました。そしたらある日息子が、「お母さんのお腹に2回来た」って言いました。そして、「1回目はおうちに帰っちゃった」とも言いました。私が「なんでおうちに帰ったの?」って聞いたら、「わかんない」って、別になんてことなく答えたのを聞いて、やっとやっと自分を責める気持ちが薄くなりました。それから、見たことの無い子供の夢を見なくなりました。

 

でもね、ホントに不思議なんですけど、その子(私たちはヒカルと名付けようとしていて、ピカちゃんって呼んでたのですが)ピカちゃんの予定日は、2月の初旬だったのですが、息子の誕生日は2月7日なんです。

 

私は、ピカちゃんが、ちゃんと私たちの所に来てくれたって思いました。(名前はヒカルではないのですが)

 

前回から投稿の日にちが空いて、あれ?私なんでこんなこと書き出したんだろう?って、書く前に思いましたが、そのピカちゃんの命日が、6月11日なんです。今年もまたあの日を思い出して、3人の子供たちが、私たちの所に生まれて来てくれたことに、感謝出来たので、書きたくなったのかも知れませんね。

 

子育ては大変だけど、自分の所に生まれてくれるのって、当りまえじゃないですもんね。

 

一人目を流産して、命を授かるって普通のことではないんだなって事を、痛感しました。

 

でもね、ホント息子が産まれた時は大変でした。息子が産まれた時、長女は幼稚園の年中、次女は年少でした。計画性がなかったかもしれないけど、その時が産まれる時だったと思います。もしその時に息子が出来ていなかったら、絶賛へこみへこみな毎日を、もっと過ごさなければならなかったと思うのです。

 

そのころ夫が転職して、超ブラックな会社で、ものすごく忙しくなりました。お給料も安くて、もしかして同じ時間ファーストフードでアルバイトした方が、もっともらえるんじゃないかと、実はこっそり計算してみました。(*'▽')良かった。それよりはその会社にいた方がちょっと多かった(パパごめん)

 

幼稚園って、トイレットペーパーの芯とか、ティッシュの空き箱とか、持ってきてくださいって言われたりしますよね。あまりに忙しくて、長女の持ち物なのか、次女の持ち物なのかぐるぐるになってて、幼稚園の先生にも娘たちにも、迷惑をかけたりもしました。

 

毎日考えるのは、私の寝る時間を確保することのみでした。今寝たと思ったのに、すぐ朝になってたり、子供を寝かしながら自分も寝落ちしてしまって、夜中の2時3時に、こうこうと明りのついた中で目ざめ、「あ、やっちまった!」って思い、急いで起きて、流しに山になっている食器を洗ったりもしました。(これ母あるあるだと思うんだけど)

 

そんな生活だったので、とても働くなんて考えることは出来ませんでした。

 

今ブログを読むと、子供が3人いても、フルで働いている人とかいますが、もうそんな人私から見れば神に近いのに、それに加えてブログ書いてるって、超人にしか見えません。子供を生かしているだけでも、私から◎あげたいです。(ま、私から◎もらっても何にもないですけど(#^.^#))

 

世の中のお母さんって、みんなホントにすごいですよね。長女が産まれた時に姑に、「子供のお陰で親にならせてもらってる」って言われたけど、つくづくそう思います。大変な子育ても、少しづつ子供が成長してくれて、時が過ぎてってくれたから出来たことなのかもしれないです。

 

なんだか、とりとめもなくなってしまったけど、読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 私が専業主婦になるまで②

前回の続きです。

 

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1人目を流産して「もう、しばらく仕事はあきらめよう」って思ったのですが、その時は、まだまだ仕事に復帰する気まんまんの私でした。

 

なので、長女が産まれて、もうすぐ1年って時に

 

そうだ!2人目をとっとと産んで、二人一緒に保育園に入れれば働けるじゃん。♪って思ったんです。

 

なので、うちの長女と次女は年子なんです。

 

でも、そんなに甘くはなかったんですよね。

 

1才過ぎて長女に手がかからなくなって、このまま成長するのかと思っていたら、次女が産まれたころから反抗期が始まって、新生児と、やだやだ2歳の子育てはまさに地獄絵図でした。(;_:)

 

それにね、前にも書いたのですが、あまりにも次女がかわいかったのです。

 

次女は私がいないとダメな子で、夫が抱っこしても、ぎゃ~って泣いちゃう子で、大変だったのですが、そんなに自分の事を大好きでいてくれる子ってかわいいですよね。

 

そして長女と比べると次女は小さい・・・弱い・・・かわいい・・・。こんな子を保育園に預けて働くなんて・・・って、思ってしまったんです。

 

お子さんを保育園に入れているお母さま方は、今は多いと思いますが、きっと後ろ髪引かれる思いで、保育園に送り出していると思います。

 

私はそれが出来なかったんですよね。

 

それに、私の住んでる市はものすごく待機児童が多くて、保育園なんて入れなかったんです。

 

で、仕方なくもうしばらく働くのは我慢しました。

 

そんなん、働かなくてもやっていける家なんじゃないのか!?って、思われるかもしれませんが、次女が産まれた時、うちの夫の給料は手取りで20万円ちょっと。ホントに今思うと、どうやって生活してたんだろうって思います。(今も大変ですけどね)でも、なんと貯金もしてたんですよ。もしかしたら、結婚前の貯金を切り崩して、回してただけかもしれないという説もあるけど・・・

 

そもそも、夫の給料なんて当てにしてなくて、私が働くつもりでいたのですが、大きく目論見が外れてしまいました。

 

その時ね、今だから言うけどシャンプー、リンスは100均で買ってました。なので、髪の毛はいつもばっさばさ。(#^.^#)お魚よりお肉の方が安いから、お肉料理が多くて、それも、一番安いひき肉料理が多かったような気がします。

 

子供の服も親に買ってもらうか、お下がりで、あとは洋裁が好きだったので、作ってやりました。

 

なんか・・・昭和だなあ・・・

 

ある日、そうだ!鳥のもも肉でから揚げを作ると高くなるから、鳥のひき肉を丸めて、なんちゃってから揚げを作ろう!って思って挑戦してみたんです。そしたら、次女が「お母さんのから揚げは、普通のから揚げと違ってフワフワしておいしい!」って言ったんです。ごめん次女違うの・・・そんな理由じゃないの・・・って思ったけど、ま、美しい勘違いはそのままにしておきました。(*'▽')

 

私ね、バブルの頃に大学生で、ワンレンボディコンで、フォーフォーしてて、卒業後は証券会社に入って、服もバッグもブランド物、1年に1回海外旅行に行ってだったけど、寂しい家庭に育ったんです。

 

それが、100均のシャンプー使って、髪の毛ばさばさってふり幅あり過ぎですよね。

 

姑や母のせいにしてたけど、その時その時、結局自分で選択して、そういう生活をしてたのかもしれないです。全部思い通りでいい生活ってないのかもしれませんね。

 

働いたらお金はあるけど、その分子供に手はかけられない。働かなかったら、貧乏だけど、子供に手はかけられる。

 

その人その人の選択なのかもしれませんね。(どっちがいいか悪いかではないと思います。)

 

で、なんでそんな貧乏生活なのに、3人目を産もうと思ったかって思われるかもしれませんが、それは

 

金さ!!!

 

今は普通なのかも知れませんが、私の住んでる市は、ものすごく待機児童が多くて、その救済策だったと思うのですが、3人目は子供手当てが月3万円もらえたんです。長女が産まれた時は、月5000円の子供手当てを子供のために貯金していましたが、そのころはもうそんな余裕もなくて、しっかり生活費になっていました。(長女次女ごめん!)3人目は、月3万円もらえるなら、おむつとかミルクとかにあてれば3人目いけるんじゃないかって思ったんです。

 

それに、男の子を育ててみたかったんです。男の子って、女親にとっては娘とは全然違う存在だっていうでしょ。長女も次女もかわいかったけど、もっと愛を与えられるのではないかって思ったんです。それを経験してみたかったんです。で、3人目に男の子が出来て、息子は夫の次に我が家の稼ぎ頭(*^▽^*)となったのです。

 

まだまだ続きますが、長くなったので今日はこれくらいにしようと思います。もしかしたら、今の我が家は大変って思ってる方が、私のブログを読んで、自分の方がましだと思っていただけたらと思い、書きました。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 節約編

最近、物の値段が上がって、子育て世代は大変な毎日だと思います(私もです(;_:))

私の節約していることを、お伝えしようと思います。

使わなくなったバスタオルを切って、入れ物に入れて、リビングに置いています。小さい子供って、ジュースとかお茶とかよくこぼしますよね。そういうのって、ティッシュを使っていたらきりがないので、そういう時にテーブルや床を拭いたり、トイレトレーニングで失敗した時に、床を拭いたりするのに使っていました。台拭きとしても使っています。

雑巾みたいに縫ったりしなくて、切りっぱなしのまんまです。(だって縫うのめんどくさいもん。(#^.^#))床を拭いた時は、ゆすいで洗濯機にIN、お漏らしを拭いた後は、ゆすいでゴミ箱にINです。

 

子供の口を拭くときは、小さいハンカチを使っていました。この切りっぱなしタオルは、きれいじゃない所を拭くのに使っていました。

 

これで、箱ティッシュの消費が少なく済みました。ティッシュを使うのは、私が鼻をかむときくらいで済みました。

 

私の鼻○○とテーブルは、どっちがきれいかビミョー(*^▽^*)ですが、ちっちゃい事は気にしないで生きてます。(*'▽')

 

フライパンもこれで拭いて、可燃ごみに、フライパンは食洗器へINです。

 

揚げ物の油は、牛乳パックに、これをぎゅうぎゅう詰め込んで、油を入れて、上からこれで蓋をしてゴミ箱へINです。

 

なんかやってることちっちゃいですね・・・とほほ。

 

あとね、猫の額ほどの庭で、野菜を育てているんです。

前にも書いたのですが

 

teruyamayouko.hatenablog.com

庭に穴を掘って、生ごみはそこに捨てて、たい肥を作って、それで野菜を育てています。

今年は、去年より出来がいいみたいで、毎日、スーパーで売ってる1パックぐらいお豆がとれます。

鈴なりって、こういう事を言うんだって思いました。

 

こんな感じで育てています。無農薬で育てています。

 

肥料も買ってないので、夫が100均で買ってきた種の分だけお金がかかりましたが、これで、毎日1パック取れたらお得ですよね。自然の恵みに感謝です。

 

いい土で作れば、プランターでも出来るのではないかと思います。知り合いのおばあちゃんに聞いたけど、バナナの皮を干して、プランターの土に埋めておくと、しばらくして跡形もなくなるそうです。分解されて肥料になってるんですよね。

 

ベランダで作るのにお勧めなのが、青じそです。青じそって、庭で作るとすぐに虫に葉っぱを食べられてしまいます。でも、マンションの高い所だと虫がこないですよね。これから夏に向けて、無農薬の青じそっていいなって思います。

 

あとね、ゴールデンウィークに、バラの挿し木をしたのだけど、小さな葉っぱが出て来ました!!

 

節約もいいけど、お花も買えないなんて悲しいですよね。でも、やってみたら買わなくても育てられるんだなって思いました。またまた自然の恵みに感謝です。

これも、知り合いのおばあちゃんに教えてもらったんだけど、挿し木用の白い粉(怪しい??)を使うと、根がつきやすいそうです。やり方は、ネットで調べれば出てくるのでお伝えはしませんが、6月がバラの挿し木にはいいらしいです。誰かにもらった切り花でも出来るそうです。

 

ゴールデンウィークに植えたヘチマも育ってきました。

これで、夏のエアコン代節約のためにグリーンカーテンにしようと思っています。

 

なんでヘチマにしたのかと言うとね、ちょっと前にヘチマたわしをもらったのですが、食器を洗うのに使ったら、意外と良かったので、それも欲しくてヘチマにしました。

売ってる食器洗いのスポンジって、すぐよれよれになっちゃいませんか?(私の力が強いのか?)ヘチマだったら、使ってよれよれになったら、生ごみたい肥に使えるから、こっちのがいいかなと思ってるんです。

 

化粧水作るってのもあるけど、ちょっとめんどくさいのかな?それは、もうちょっと大きくなってから考えようと思っています。

 

あとね、洗剤とかシャンプーとかの日用品を、近くの大手のドラッグストアで買ってたのですが、市外のちょっと離れたドラッグストアが安いので、そこでまとめ買いすることにしました。野菜も、市外の八百屋さんで安い所をみつけて、そこでまとめ買いするようになりました。近所のスーパーの半額で売っているものもあるんですよ。それに、たくさん買うと、端数を切り捨てておまけしてくれるんです。なのでガソリン代を差し引いても、そこまで行く価値はあるかなと思っています。

 

専業主婦なので、頭と体を使うしかないので、ちびちび節約生活をしています。

 

もしかしたら読んで下さった方の参考になればと思います。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

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私の子育て日記 次女襲来!!

昨日の夕方次女から電話があり、「今から帰る」と言ってきました。

次女は、今大学4年生で、家から電車で2時間程の大学に通っていたのですが、「来年から勉強も大変になるだろうから、通うのはキツイ」と言って、1年生の12月に、大学の近くで一人暮らしを始めました。

 

高校の時から、部活でジャズをしていたのですが、3年生の終わりで部活を引退して、4年生になったら、勉強と就活に本腰をいれるものと、母は思っていました。

 

ホントはね、理系だから、回りの友達は、みんな院にあがるのですが。次女は、「大学に入って、勉強が嫌いだったことに気づいた!(*'▽'))」って言って、就職することを決めました。

 

どっちでも、本人が決める事ならしかたないかなと思っていました。

ただ、回りの子はみんな院に行くので、その中で、就職活動をするのは大変なようです。

 

よくわかりませんが、4年生になると、毎日研究室なるものに行かなければならないらしく、それも、朝9時から5時まで、時には、帰りが8時ごろになる事もあるらしいのです。それに加えて、就職活動はまず、エントリーシートってのを書いて、面接に向けて企業について調べなければならないのです。そして、なんと!部活を3年生で卒業したのに、今もインカレサークルに誘われて、そちらの練習にも参加しているようです。

 

ちょっと前に、心配で四の五の言ったのですが、

 

「もう自分で自分の事はちゃんとするから、口を出さないで」って、言われてしまいました。

 

おー!!自立に向かっているのね。成長だわ(^o^)丿なんて、思っていたのですが、そんな生活なので、辛くなってしまったみたいで、昨日帰って来たのでした。

 

帰って来て、「ママ~」って抱きついてきて、「よしよし」って言ったら、「大変だよ~」って泣いてしまいました。

 

30分はそのまま泣いていたと思います。頭をなでなでして、「よしよし頑張ってるね」ってしばらく泣かせてあげて、1才上のお姉ちゃんも一緒に「○○ちゃん(次女の名前)頑張ってるね」って、なぐさめてくれました。

 

「何があったの?」って聞いても、上手く言葉にならなかったようでした。こういう時は、好きなだけ泣かせてあげるのがいいのかなと思い、背中をさすってやったりしました。

 

人間って、色んなものを出すとすっきりするんですよね、何でも。(*^▽^*)

 

思いも、涙も、その他、体から出せるものを出すのって、すっきりしませんか?

 

で、いっぱい泣いたら、すっきりしたみたいで、話し始めたのですが、学校の勉強も、就活も、音楽も、そりゃあ楽ちんなことばかりではないので、心が疲れてしまったみたいです。

普段、1人でアパートにいる時は、気を張っていたのだけど、家に帰って来たら、気が緩んでしまって、なぜか泣けてきてしまったようです。

 

泣いたらすっきりしたみたいで、夕飯をばくばく食べて、お風呂に入って寝てしまいました。そして、今朝も、インカレサークルの発表に行ってから、ジャズのライブに行くって元気に出かけました。

 

次女に「やっぱり家が一番安心する」って言われました。

 

結婚前の私にとって、家はそんな場所ではありませんでした。何度も書きましたが、私の母は毒親で、家にいてもヒステリックに怒鳴られたり、父と喧嘩した時に、八つ当たりされたり、私は母のストレスの解消の存在でした。

 

母によく「もういいかげんに自立しなさい!」なんて言われたけど、私はその時、違うと思いました。

 

自立って、そうやって親に自立しろと言われて、するものではないと私は思いました。

 

愛情でお腹いっぱいになったから、外の世界に出て行こうかなって思えるんじゃないかと思いました。ポイって外に放り出されて、子供が自立できるとは思えませんでした。

 

育児書で読んだのですが、子供って、最初はお母さんから離れないでしょ。でも、少しづつ外の世界に興味を持って、お母さんから離れて外に出て、外でびっくりするようなことがあったら、またお母さんの所に戻って、安心したら、また外に出ていってを繰り返して、行動半径が広がっていくって書いてありました。

 

次女は「世間の荒波にもまれた( ;∀;)」って泣いてましたが、安心したら、また出て行ってしまいました。

 

3週間前には、自立するから口だすなって言ってたんですよ。ふふふ。

 

結婚前、私には安心する家庭は無かったけど、今、子供にそれを提供してやれる私になれたのだから、その苦しかった経験も、無駄ではなかったのかも知れませんね。

 

先日、長女と占いに行ってきたんです。夫が転勤するので、その事を相談したくて行きました。時間が余って、「他に聞きたいことはないですか?」って言われて、母の事を話しました。いまだに、母にされたり言われたことを思い出して、時々辛くなることがあったからです。

 

そしたら、その先生が「お母さまに愛されなかったのは、とてもつらい事でしたね。でも、自分はそうならないように、努力されたんですね。お母さまから愛を学んだんですよね。今、幸せな家庭を築いているのは、その経験があったからですよね。お母さまにありがとうって言えるといいですね」って、言われました。

 

頭ではそうだとわかっていたのですが、心って、難しいですよね。それまでは、なかなかそうは思えませんでした。でも、その方に言われたら、なぜか腑に落ちて、辛かったことも、肯定出来るようになりました。

 

次女は、どんなご飯でも「お母さんの作るご飯が一番おいしい」って言ってくれて、「家が一番落ち着く」って、言ってくれます。でも、自分の思う道を進みたいので、ずっとは家にいません。今日は泊まって、明日はアパートに帰るようです。

 

次女がいないのに、おいしいものを食べるのは申し訳ないと思っていたのですが、今日は、何かおいしいものを食べさせてあげたいなと思いました。

 

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