私の子育て日記 毒母編➀

私の母のことなのですが、今まで毒親だったと何度も書いたのですが、最近、やっと心の整理がついて、書いてみようと思いました。

 

私の父は長男だったので、私は祖父母と一緒に住んでいました。祖母は、まさしく日本の母って感じの人で、戦後、物の無い時代に、苦労はしたけれども、良く働く、愛情いっぱいの人でした。20歳の時に祖母が亡くなるまで、祖母は、私の事を自分の子供以上に大切に育ててくれました。祖母に頂いた愛情は、返しても返しきれないと、今も思っています。祖母が亡くなった時には、現実を受け止められず、一緒に連れて行って欲しいとさえ思うくらいでした。

 

祖母が生きているうちは、母の横暴は抑えられていましたが、母曰く、更年期だったそうですが、ほとんど家事をしないで、自分のやりたいことに夢中でした。そして、家事を私にやらせようとしました。

 

当時大学生だったので、それほど不自由はありませんでしたが、就職したら、どうしてもしなければならない事ってありますよね。例えば、当時OLだったので、週末には会社の制服を洗濯しなければいけない、でも、母が日々洗濯をしないから、洗濯機には洗濯物がいっぱいで洗えないので、仕方なく、週末は家族の洗濯物を私が洗いました。

 

母は掃除もしないので、週末私が家の掃除をしました。

 

さすがに仕事から疲れて帰って来て、料理は出来ませんでしたので、母の作ったものを食べましたが、あんまり料理も上手ではなかったし、作るのも遅かったので、外食が多くなりました。冷蔵庫は、母の買ってきた食材でいっぱいでしたが、腐って変なにおいのするものが入っていて、どうも母の作るものには信用出来ませんでした。

 

父と二人で冷蔵庫の掃除をしたら、生ごみの袋が一杯になりました。

 

もちろん、お弁当なんて、私が高校生だった時に3年間作っただけでも、母はやった気になっていましたが、就職したって作ってもらってる子もいたので、作って欲しいと言ったら、私はお金もらってないから出来ない。って言われました。生活費は父に渡していたのですが、母に渡していないからと言われました。でね、「私は○○万円しかお父さんにもらってないのよ。」って言われて、当時はそうなんだ、うちは貧乏なんだって思ってたけど、いざ自分が主婦になってみたら、それ余裕じゃんってぐらいの金額でした。

 

なんで、お金がなかったかと言うと、たくさんの雑誌を買っていたのと、ランチや喫茶店でおしゃべりするのにお金を使っていたのだと思います。あとは冷蔵庫で生ごみになった食材。

 

前の日の夕飯の残ったものは、鍋に入れたまま台所にカビが生えるまで置きっぱなしで、(何日分もですよ。)母は外食をして、母には全く役に立たないであろう高級な雑誌を山ほど買って、洗濯と掃除は私にさせていたので、父が注意しない訳はありません。

 

でも、母って聞かないの。しないの。で、父としょっちゅうケンカをしていました。

 

父と喧嘩をして私に八つ当たりもしました。

 

私は結婚が遅かったのですが、「あんたは女としての務めが出来てない。」とか、「早く出ていけ。」とか、「親孝行するのはあったりまえなんだよ!」って怒鳴られたりとかしました。また、「あんたはいつか娼婦になるわ。」って捨て台詞を吐かれた事もありました。

 

それなのに、母はお金遣いがあらいので、お給料日前にお金に困ると、猫なで声を出して、「ちょっと貸してくれない?」って私に要求しました。当時はうちは貧乏だと思っていたので、何度も母に貸して、結局「返さなくていいよ。」って言ってしまっていました。親孝行しないとと思っていたのです。

 

まあ書き出したら、ほんとにいくらでもあるのです。まだまだこんなの人に伝えられる程度のものです。

 

結婚するまでは母しかしらないし、子供だったから、こんなものかと思って、出来てない私が悪いのかと思っていました。

 

でもね、夫と結婚して色んな気持ちが起きてきました。

 

姑は、母とは真逆の人で、お料理は、懐石料理を習っていたらしくて、おいしくて盛り付けも美しくて、家はピカピカで、主婦の鏡みたいな人でした。(ま、それはそれで嫁はしんどいけど。(#^.^#))子供の入園式の前には、「いつも一緒だと良くないから」って私にスーツを買ってくれたり、旅行に行けば、貴金属をおみやげで買ってきてくれたりしました。ある日「こんなにしてもらって申し訳ない。親孝行しないといけないのに。」って言ったら、「親が子供にしてやるのは当りまえの事なのよ。」って言われ、実母には親孝行して当たり前と言われたのに、どっちが当たり前なのか混乱しました。

 

そこから、私って母に騙されて、いいようにされていたのではないかと思うようになりました。

 

やっと、結婚して母はおかしいって事に気づいたのです。

 

でね、妻としても最悪で、私が結婚して子供たちが大きくなってから、母に「実はある人に、お父さんと別れて結婚してくれないかと言われているんだけど。」って相談されました。

 

「は?」でしょ。

 

聞けば、高校の同級生とホントは結婚したかったのに、無理やり父と結婚させられたらしく、その時の同級生に結婚しようと言われたそうです。その時に、そういえばしょっちゅう高校の同窓会に行ってるなって思いました。

 

「お母さんがしたいならそうしてもいいけど、そうしたらお母さんとは縁を切るから。」と私は言いました。ですよね。それに、それ、よく自分の娘に言えるわって思いました。

 

家族のために、身を粉にして働いてくれた父を捨てて、他の人と結婚するなんて娘に言う、母の心の状態が、全く想像出来ませんでした。

 

長くなったので、続きは次回にします。

 

愚痴っぽくて、嫌な気分にさせていたら、ごめんなさい。そんなだったけど、今はそれも私の学びだったと、最近やっと思えるようになったので、次回は前向きなブログが書けると思います。

 

読んで下さり、ありがとうございました。読者登録、スター、コメントありがとうございます。