私の子育て日記 次女➄

大学に入ってから、また次女は部活三昧・・・

 

その次女が、ある日こう言いました。

 

「私、大学に入って勉強が好きじゃないことにやっと気づいた」

 

え”!?

 

おい!(*_*;

 

次女は続けました。「回りの子がみんな大学に行くから、そういうもんだと思ってた。でもさ、違う人もいるんだよね。」

 

今?(*'ω'*)

 

話はずれますが、私は、若い頃アジアの貧しい国で、施設を見学したことがありました。そこで、衝撃を目の当たりにしたことがあります。

 

「この子は2歳です。」って言われた子供は、日本で言うなら6か月ほどの大きさしかありませんでした。そして、劣悪な衛生状態のため、目が見えず、何かチューブを鼻につけていて、立って歩くことも出来ず、ベッドに横たわっていました。もう、30年ほど前の話ですが、若かりし私は、こんな人が世の中にいるなんて!と思いショックを隠せませんでした。私はバブルどんぴしゃ世代、お立ち台でふぉうふぉうしてたのに、世界にはこんな悲しい人生を送っている子供がいるのか(´;ω;`)と思いました。何かしてあげたい、でも、なんのとりえもない私には、悲しむよりほかにはありませんでした。それまでの自分の人生に後悔しました。

 

なので、3人の子供たちは、なんでもいいから、せめて少しでも世の中の役に立つ人になって欲しい、そのためには勉強も必要なのではと思い、勉強できるように手伝ってきました。決して、いい学校に入って、いい会社に入って、たくさんお金を稼いで、うほうほでいて欲しい気持ちはありませんでした。私はバブルまっただ中に証券会社で働いていて、お金と幸せが正比例していない人たちをたくさん見ました。うちは裕福ではなかったので、たくさんお金が欲しいと思って、証券会社で働いていましたが、何が幸せかわからんなって思いました。あ(*^_^*)でも今赤貧なので、しんどいけど。でへ

 

娘には大学に入る時に、「国立大学に入るということは、みなさんの税金で勉強させてもらってるんだから、世の中の役に立つ人になるんだよ」って言いました。夫も同じ意見なのですが、次女も「わかった~」って言ってたのに。

 

次女はそこから続けました。

「でも、大学は卒業する。ただ、ほんとに好きなことが見つかった。音楽が好きなの。」

 

確かに今の大学に入らなければ、また音楽に携わることはなかったと思います。縁があってこの大学に入ったのかもしれません。

 

次女によると、将来は仕事をしながら、音楽を続けたいとのこと。

 

私は「そんなら、○○ちゃんの演奏で誰かが元気になるとか、幸せになるような演奏をしてね」って言ったら、「そんなこと考えずに演奏してると思ってた?(~_~メ)」と軽く切れられた。なんて、たくましくなったんだろうと思いました。小さい頃、私やお姉ちゃんに甘えんぼさんだった次女が、まさかこうなるとは思いもよりませんでした。

 

私は、毒親の母の言葉に振り回されっぱなしでした。小学校の時、私は、いきなりヤマハ音楽教室に連れていかれました。私が、やりたいとかやりたくないとか全く言ってないのに。そして3年レッスンをして、母に「ピアノとエレクトーンとどっちがいい?」って聞かれました。私は「エレクトーンがいい!」と答えました。でも母は「ピアノの方が色んな音が出せるから、ピアノにしましょう。」と言いました。その時の私は、子供だったので、母の言うことを聞いたけど、今になって思えば、なら聞くなって思いませんか?で、そんなにやりたくないピアノを小6まで続けたけど、普段は放置のくせに、「あんたはちっとも練習しないからいかん。」と言われました。高校生になって、自分でピアノが習いたくなった時に、母にお願いしたら、「今さらなに言ってるの」と言われました。全部母の都合ですよね。

高校生の時「ほんとはお父さんと結婚する予定ではなかった。他に好きな人がいた」と言われました。それ、娘の私に言うか?と思ったけど、母には全く悪気がありませんでした。

 

高校に入った時に母は、「あなたも吹奏楽部に入ればいいじゃない」と言われました。母は、何にも考えずものを言う人でした。しょっちゅうお金がない、お金がないと言ってて、でも、自分が結婚して気づいたのだけど、それはお嬢様育ちの母の生活に見合うだけのってことだったような気がしますが、でも、子供って基本は親孝行に出来ているから、お金がないって言ってるのにどうやって楽器をかうのよ。と思い、言いだせませんでした。

 

まだまだ山ほど母に対する色んな気持ちはあるけど、私の子育ては、母の毒親っぷりから、学んだことはたくさんあります。ああはなるまいと子育てしてきました。私は、子供が自分の心に聞いて、自分で考えて生きる道を決めて欲しいと望んでいました。なので、よくよく子供の話を聞いてやりたいと思っていました。今、少しづつ結果が出て来たのを嬉しく思います。私が親に言えなかったこと、親のためにあきらめたことを、子供は知ってたの?って思うぐらい叶えてくれています。ほんと不思議ですね。なんなら、自分がするより、子供がしてくれるほうがもっと嬉しいです。

 

次女は、自分の道を大まかに自分で決めつつあります。また、寄り道しちゃうかもしれません。私は、また「え!?」って思うかも知れないですね。でも、なまあたたかく、ぬるっと応援してやりたと思っています。次女が小さい頃、産まれた時のことを話してくれました。「○○ちゃんはね、行ったり戻ったりして産まれてきたんだよ」って。ほんとに今までの子育て行ったり戻ったりでした。反抗して、「自分でするから!」って言ったと思ったら、「出来ない・・・」って泣きついてくる。戻ってきたら、お母さんとして、よしよしして、温めてあげて、また社会の荒波にもまれて。その繰り返しでした。いつでも、母ちゃんの所に戻っておいで、また行っちゃうだろうけど。(*^▽^*)そんな気持ちで、また、子育てを続けたいです。

 

長かったけど読んでくださり、ありがとうございました。(^-^)