前回の続きです
息子の入学準備用品を買いに行って、家の事をしたら、また夕方次女の家に向かいました。なんと!次の日の朝引っ越し屋さんが来るので、手伝わないといけなかったのです。あれ?私過保護ですかね。でも、なんだか心配で・・・
次女の住んでるところは、家から車で2時間かかるので、次女の所に着いたのは、夜遅かったと思います。
次の日の朝、引っ越し屋さんは朝イチで来ました。それから最後のご奉公、今まで使っていた部屋をきれいに掃除して、家に帰って来ました。
次女の住んでた所は、ホントにいい物件を見つけられたと思います。田舎の国立大学だったのですが、学校に近くて、家賃25000円、水道代タダ(井戸水なので。でもちゃんと定期的にお掃除をして下さっていました)Wi-Fi代もタダ。でも、きれいで、女子専用のフロアで、敷金も無しでした。お掃除が終わって部屋を出る時に、大家さんからの書面を見たんだけど、掃除は掃除屋さんに入ってもらうので、そんなにきれいにしなくていいです。それよりも早く出かけてくださいねって書いてありました。敷金無しだったから、掃除の請求が来ると思うんだけど、なぜかまだ来ないんですよね。
ちなみに、長女は学生時代、京都に住んでいたのですが、京都は家賃お高めですね。狭い所にたくさん大学があるから、学生向けマンションは高いって聞きました。うちは、ちょっと広さをあきらめて家賃を抑えました。
で、次の日は次女は朝早く横浜へ、私は家の事を済ませてから、横浜に行きました。
役所がびっくりするぐらい混んでたらしく、次女から電話があり、「今40人待ち」って言ってました。長女の友達情報で、その時期は役所には午前中に行った方がいいと聞いていたのですが、それでも帰ってきたのは夕方でした。
それが、3月30日だったのですが、その頃ってちょうど引っ越しのピークなんですよね。次女は4月1日が入社式だったので、それまでに荷物を片づけないと多分一生段ボール収納(きゃ~!)になってしまいそうだったので、ひたすら片づけをしました。
洗濯機のホースをつけたり、アースをつけたりもしました。引っ越し屋さんにつけてもらうと、お金がかかるから断ったと言ってましたが、で、母がするんかい~、と思いながらでしたが、人間ってやれば出来るもんですね。(#^.^#)ちなみに長女の所も私がつけました。だんだんこうやって女は強くなっていくのかもしれないですね。
結婚したときは、電球替えるのも夫に「出来ない~。やって~」って(ホントは出来るけど)言って、「わ~すご~い」ってかわいい嫁を演じて、うまいこと言ってやってもらってたけど、単身赴任してしまったから、母ちゃんがやらざるを得ないんですよね。とほほ。
世の中甘くないわ
1日に次女を送り出して、家に帰って来たんだけど、なぜかなぜか涙が止まらなくなってしまいました。
次女は技術職で入社したので、次女のする仕事は横浜か大阪しかなくて、こちらに帰るのは、転職でもしない限り出来ません。
次女とたまたま小さかった時のことを話すことがあって、「どんなこと覚えてる?」って聞いたら、「パパとお姉ちゃんは寝ちゃって、私は寝れなくて、(寝つきの悪い子だったんです)お母さんの所に行ったら、ボール転がして遊んでくれたよ」って言いました。
私はおぼろげにしか覚えていないんだけど、多分2歳ぐらいだったと思うんだけど、そんなことが楽しかったんだなって思いました。息子が産まれるまでは、どこかに連れてってあげたりもしたけど、もしかして子供にとっては、日常の小さなことの方が楽しかったりするのかもしれないですね。
毎日、幼稚園も学校も行く前に泣いてばかりいた次女が、横浜で就職して自立の1歩を歩み始めているなんて、その時には想像もつきませんでした。
4月1日は、我が家的にはだいぶ奮発したお肉を買って冷蔵庫に入れて、「これを楽しみに入社式いってらっしゃい」って送り出して、注意事項と連絡事項をたくさん置手紙に書いて、玄関のドアに忘れ物チェック表を張り付けて、横浜を後にしました。
子育ての目標は自立って教えてもらいました。だって、親は先に死んでしまうから、一生守ってはあげられないですもんね。仕事なり結婚なり、自分で自分の道を探してもらわないといけないですよね。ずっと、次女にそう言い続けていました。だから、次女は家から離れた所で就職を決めたのです。
でもね、今気づいたんです。子供が自立するってことはね、親も子供から自立しないといけなかったんだと。
なかなか難しいですね。くすん。
長くなったのでまた続きは次回書きます。
長々と読んで下さりありがとうございました。
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